気分次第


by tohfucat

久々に・・・

久々に隠れ家を訪れると、コメントやトラックバックのスパムの嵐 ( ̄□ ̄;)!!

と、いうわけでスパムは全て削除。

当面、コメントとトラバの受付はしない設定にしました。

今、戦国時代のポータルサイト、またはウエブ百科事典とも言うべきサイトを製作中です。

今のところはようやく年表ができたところで、いまだ公開には至らず。。。

本業のほうも暇になり、これから加速したいと思っています。

とはいえ、完成まではまだまだ時間がかかりそうです。

3月くらいまでには公開できるレベルにしたいとは思っているものの、どうなることやら。。。
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# by tohfucat | 2007-01-22 23:53 | 日記

忍城時代祭り


以前から『時代祭り』と名の付くものを一度でいいから見に行きたいと思っていた。
日本全国で大なり小なり『時代祭り』は行われているが、なかなか都合がつかない。
そして、ようやく埼玉県行田市にある忍城の時代祭りを見に行くことになった。
・・・いや、見に行くはずだった。

まさか見るのではなく、参加することになろうとは・・・

忍城は秀吉の小田原征伐の際、石田三成率いる軍勢に包囲されたということもあり、昨年の祭りでは秀吉や三成などに扮したパレードがあったらしい。

今年は忍城を長篠城に見立て(ぉぃぉぃ・・・)、奥平定昌、織田信長、徳川家康、武田勝頼といった面々・・・

午前は出陣式とパレード、
と言ってもパレードというほどの距離でもなく、初陣の私には程よい距離だった。
午後には鎧武者VS忍者の演武が行われた。

迫力の演武はこちらで。



私は午前だけの参加だったが、大変貴重な経験をさせてもらった。
参加を勧めてくれた碧洲斎さまに感謝したい。

【忍城時代祭り 2005年11月6日】
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# by tohfucat | 2005-11-07 23:39 | 日記
 昨日の夕方、鹿児島県吾平で土砂崩れがあった。九州農政局の水利事業所が機材搬入用の取り付け道路を作っていたという事で、一部で山の斜面を削り、盛り土をしているところもあったという。これは工事が原因の事故と考えられるが、このニュースを見て思い出したことがある。

 昔は『崩レ』『滑ル』などの入った地名が多くあったらしい。が、それらの文字が縁起が悪いということで、いつしか消えていった。
 これらの文字が無闇に使われているはずもなく、昔土砂崩れなどがあった土地である事を示している。区画整備などで洒落た名前の住宅地になったものの、結局土砂崩れで家が流されてしまった・・・などということもあったようだ。

 地名の由来をさかのぼってみると、次のように分類できる。
  1) その地域の位置を示すもの
  2) その地形・地貌を示すもの
  3) その地域の開拓の歩みを示すもの
  4) その地域の歴史・伝承を示すもの
  5) その他

 昔からの地名に込められた意味を、再度考え直してみるのもいいのではないだろうか。


 そういえば、もうひとつ思い出したことがある。
『梅』とつく地名は日本全国にたくさんあるが、その殆どが池や沼、田んぼなどを埋めて出来た土地であるらしい。
 つまり、もともとは『埋め』だったわけだ。全てがそうと言う訳ではないだろうが・・・
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# by tohfucat | 2005-02-09 21:44 | 地名
 古い地名が消えていくのは、なにも市町村合併だけではない。区画整備などでも、これまでどれだけの町名が消えたことか。
 かつて東京には、日本橋安針町(にほんばしあんじんちょう)という地名があった。按針とは、三浦按針のことである。本名はウィリアム・アダムスという。

 彼は、慶長5年(1600)豊後に漂着したオランダ船リーフデ号の乗組員のイギリス人で、東洋探検隊の航海長でもある。
 数学・天文・航海・造船等を学んでおり、徳川家康の信任を得、外交顧問となった人物だ。
 三浦郡逸見村に知行地を賜り、貿易・測量・造船等の指導にあたった。また、オランダ商館を平戸に設置させたのも彼の力による所が大きい。
 知行地三浦の他に平戸にも家を持ち、また、江戸の屋敷地として与えられたのが日本橋安針町のあたりだった。
 昭和初期、安針町の名が消え、今では日本橋室町(にほんばしむろまち)となっている。

 様々な苦難を乗り越え、日本の発展に尽くした『青い目のサムライ』三浦按針の面影を今の地名に見出す事が出来ないのは残念なことだ。
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# by tohfucat | 2005-02-03 11:16 | 地名
外国人は自国の歴史・文化を大切にする。
日本人は自国の歴史・文化を破壊する!

「世界にアピールできる地名を」などと言って『南セントレア市』などと珍名を考える法定合併協議会、いったい何者?

世界にアピールどころか、日本の恥を晒しているだけ!


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# by tohfucat | 2005-02-01 00:09 | つぶやき

地名の中に歴史を見る

 愛知県美浜町と南知多町は、来年3月に合併の予定で、新しい地名は『南セントレア市』と決まった。
 新市の名称について、昨年12月に小学生以上を対象に募ったのだが、約330件の意見が寄せられたその中に『セントレア』はなかったということだ。
 美浜町と南知多町でつくる法定合併協議会の会長をはじめとする26人の投票により『南セントレア市』に決定したという。
 330件の住民の意見を無視して、一部の代表の意見だけで突飛押しもないネーミングに決まったことに、地元では猛反発が起きている。

 そもそも地名には、その土地の情緒や歴史が表れるものではないだろうか。ここ数年、町や市の合併により新たな地名が出現しているが、それによって情緒・歴史が失われているように思えてならない。

 昔より主をうつみのうらなれば 報いをまてや羽柴筑前

 これは織田信孝の辞世として伝わるものだが、赤で表記したうつみとは、内海と討つ身をかけている。内海とは内海野間のことで、ちょうど美浜町と南知多町の境あたりである。
 信孝はかつて父信長の臣下だった羽柴筑前(後の秀吉)に敗れ、野間の大御堂寺に幽閉され、自害した。
 その昔平治の乱で敗れた源義朝が、この地を領していた長田忠到を頼り、歓待するふりをした忠到に討たれたいわくの土地でもあった。
 信孝は羽柴筑前に対し、かつてこの地で主を討った長田忠到のように、報いが訪れるのを待つがいいという意を込めてこの歌を詠んだという。

 内海野間は武家にとって不吉な土地ではあるが、美浜と聞けば義朝、信孝の無念を思い起こさずにはいられない。

 南セントレア市と地名がかわることで、歴史的背景も薄れてしまうような気がして残念である。
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# by tohfucat | 2005-01-29 15:30 | 地名